七夜志貴、衛宮士郎は死んだ。
しかし、この歴史はまだ続きがある。
最後に、この歴史の結末とその後を記すとしよう。
結 『別れ・・・神界』
『七夜の里』、志貴達の屋敷。
志貴の末期の言葉を聞いても誰も身動きしなかった。
眼を閉じても誰も・・・
皆一様に現実を拒否したのだ。
必ず志貴は眼を開く、いつもの笑顔で『冗談だよ』と言うと・・・
しかし、どれだけ現実から眼を逸らそうとも目の前起こった事は全て事実、志貴が死んだ事が覆る筈もない。
「あ・・・ああああ・・・」
やがて現実から逃げきれなくなったアルクェイド達の顔が絶望と悲嘆に染まり、一人の眼から大粒の涙が零れるとそれを合図とした様に
『うああああああああああああ!!』
七夜の里にまで響くほどの叫び声が響いた。
冬木、衛宮邸。
この日、衛宮邸にはいつものメンバーが全員揃っていた。
「それにしても・・・珍しいわね大抵は誰か一人二人は欠けてもおかしくないのにね」
そう珍しそうに言うのは時計塔を卒業し今では冬木の地をセカンド・オーナーとして統治、統括している凛。
妹の桜と協力しての統治は本人達の予想以上に順調に推移しており、最初は苦労したものの、今では父時臣以上の利潤を毎年得ている。
「そうですよね・・・ただ、先輩はここ一年顔を見ていませんが・・・」
そう言うのは士郎に変わり衛宮邸を管理している桜。
宗一郎との間に二男一女をもうけて、幸福の絶頂にあるメディアからの英才教育の賜物か桜の魔術師としての腕前は今では凛にも匹敵し、時計塔への招聘が再三出ているが、当の本人はそれを固辞し続け、今でも冬木で凛の補佐に従事している。
「シェロは仕方ありませんわ。新院長となったバルトメロイの厳命で捕縛が命じられている以上そう易々とここに戻れる筈もありませんし」
そういうのはルヴィア。
『蒼黒戦争』終戦後、彼女は実家のあるフィンランドに帰り、家督を相続、月に一度は日本・・・正確には衛宮邸を訪れるのを習慣にしている。
本人の日本嫌いは相変わらずだが、『シェロとシェロの暮らすこの家だけは別ですわ』と公言している。
月一の訪問を欠かさず、それでいてエーデルフェルト家の運営もそつなくこなす辺りはさすがと言えるだろう。
ちなみにこれは全くの余談であるが、三人とも未だに独身であり、三十を過ぎてもその美しさに衰えは見えず、むしろ女としても成熟した凛達には、連日魔術師の家からの縁談に事欠く事は無いが、それを皆、すべて断っている。
「しかし、リン、今更このような事を言っても詮無きことなのでしょうが、バルトメロイが発令したシロウ捕縛命はどうにか撤回できなかったのでしょうか?」
「無理ですよアルトリア、先代のロード・エルメロイU世も表向きは士郎を擁護していましたが、水面下では士郎の説得を続けていました。それを士郎は全て無視していた。酷な話ですがこうなった以上協会も強硬手段に訴えざる負えません」
未だに士郎の捕縛を命じた事に少なからぬ不満を抱くアルトリアにメドゥーサが冷静な口調で窘める。
最も、メドゥーサも協会の立場を理解はしていたが、士郎の捕縛に納得する筈は当然なく、それはこの場にいる全員の共通した心境だった。
「・・・ただ、そうなるとシロウは・・・」
「ほぼ間違いなく封印指定行きね。最悪脳髄だけにされてホルマリン漬けにされても不思議じゃないわ」
感情を押し殺すように機械のような声を出したのはイリヤ。
現在、アインツベルン最後の生き残りである彼女だが、自らの領地であるドイツには数えるほどしか帰っておらず、軒並みこの衛宮邸か藤村組、もしくは柳洞寺の大河の所に入り浸っている。
「ですが、協会に彼を捕縛出来る人材が早々いるとは思えません、大半は十六年前の『蒼黒戦争』で無様に逃げ惑っていた方々ばかり、可能性があるとすればバルトメロイかバゼット、もしくはローランでしょうが」
お茶を飲みながら今の協会の酷評を述べるのはカレン。
『蒼黒戦争』戦後、著しい人材不足に陥った聖堂教会に極東の島国の一地方都市の教会へ貴重な人材を派遣する事も出来ず、戦前からその任についていたカレンが二年間の暫定から正式にこの地の監督を務める事になるのにそう長い時間は必要としなかった。
そして彼女も時折やってくる悪魔祓いの仕事をこなしながら基本は教会で、時折衛宮邸を訪れては大きな顔で居座り、その度にレイと激しくやりあっている(あくまでもこの二人が共同戦線を張るのは士郎関連のみでその他の事での仲は最悪のまま)。
と、そこへ呼び鈴が鳴る。
「誰でしょうか・・・はーい!」
桜が玄関まで駆け出すとそこには懐かしい顔がいた。
「ローラン君?」
「桜お・・・姉様お久しぶりです」
そこにいたのはローラン。
「桜、誰が来たのって・・・ローラン!久しぶりじゃないの」
「凛お・・・姉様もお変わりないようで」
そう言って深々とお辞儀するローラン。
ちなみに、ローランは凛と桜を姉様と呼んでいるがこれは幼き日のトラウマによるものである。
幼き日、ローランは士郎に連れられて衛宮邸に来た時の事。
その時、いかなる偶然が働いたのか、全員揃っていたのだが、幼いが故の無知と言うべきか命知らずと言うべきか、初対面の挨拶でローランは凛、桜、ルヴィア、カレン、アルトリア、メドゥーサを躊躇いもなしに『おばさん』・『おばちゃん』と呼んだ。
(イリヤ、レイのみはあの体型故に『お姉ちゃん』と呼ばれたが)
いくら幼いとはいえその発言は軽率の極まりだった。
思わず吹き出してしまった士郎共々、ローランはこの世の地獄を見、それからしばらくの間、実の母にまで『お姉ちゃん』と呼ぶようになったのは蛇足である。
居間に上げられたローラン達はしばし、近況を報告しあい旧交を温めていたのだが、ただ一人アルトリアのみはその表情を崩そうとしない。
彼女の未来予知に等しい直感が言葉には言い表せない不吉な予感をその胸中に感じていた。
だが、聞かなければ埒があかない、そう覚悟を決めたのだろう、決然と顔を上げる。
「ローラン、今日はどんな用件でここに来たのですか?『クロンの大隊』をバルトメロイに変わって率いている貴方が気軽にここに来れるとは思えないのですが」
「・・・」
アルトリアの問い掛けは図星だったのだろう、今までの朗らかな表情をしていたローランは一変して苦渋に満ちたそれに変貌を遂げる。
しかし、ローランも黙っている訳にはいかないと思ったのか表情を改めて、これまでにない真剣な表情で凛達を見据える。
そして告げる。
彼女達に最悪の現実を。
「・・・父上が・・・亡くなり・・・ました」
その声は詰まらせて、強く強く握りしめられたその拳から血を滴らせて。
一方、聞かされた方はと言えば、言葉を上手く飲み込めていない。
先陣を切って本題を切り出したアルトリアですらローランが何を言ったのかそれすら理解出来ていなかった。
だが、そんな微妙な均衡を崩したのは
「冗談はよしなさいよローラン!」
士郎の使い魔であるレイだった。
「あのご主人様が死ぬ訳ないでしょ!だって約束したのよ!私を一人にしないって!だから私に名前を付けたのよ!ご主人様がどれだけ強いかあんたもよく知っている筈でしょう!!つまらない事言わないでよ!」
ローランに罵声の限りを浴びせかけるレイだったがその眼からは大粒の涙が零れ落ちている。
レイも本当は判っているのだ。
士郎は死んだのだと。
ローランがこのような戯言を言いにわざわざここまで来る筈がないと。
だが、それでも認められない。
士郎が死んだなど、士郎にもう会えないなど。
「・・・ローラン」
そこへ絞り出すような声をアルトリアが発する。
「・・・シロウは・・・シロウはどのように死んだのです・・・いえ、誰に殺されたのですか・・・」
その顔に血の気は全く見られず、青白い。
なのに、その全身からは憤怒が陽炎の様に立ち込めつつあった。
「殺したのは・・・『六王権』軍の残党ですか?・・・協会ですか?・・・聖堂教会ですか・・・どこのどいつがシロウを殺したのですか・・・」
口調こそ静かだが、そこに込められた怒りは激しく猛々しい。
「・・・父上を殺めたのは・・・どれでもありません」
そんな見ただけで死に至るようなアルトリアの殺気にローランは沈痛を表情としたかのような顔で告げる。
そして説明に入る。
「・・・そ、そんな・・・馬鹿な・・・」
「信じがたいのも無理はありません・・・ありませんが・・・全て事実です・・・」
あまりの事に全員が絶句する。
「・・・何でよ・・・」
掠れた声で凛がそれだけ絞り出す。
「何で・・・あいつが・・・こんな死に方・・・しなくちゃ・・・しなくちゃいけないのよ!!」
最後は吼える様に叫ぶ。
「・・・」
それにローランは何も答える事が出来ない。
「あの馬鹿はあの日から今日まで死に物狂いでやってきたのよ!どれだけ多くの人を助けたと思っているのよ!!なのにその結末が、助けた側の、それも子供に殺されたってこんな理不尽な最期があって良いの!!」
ここにはいない何かへの弾劾に誰も答える事は出来ない。
しばらく無言が続くかと思われたがその沈黙を破ったのはローランだった。
「・・・それとこれを・・・」
そう言うと、傍らの鞄を開き、それを差し出す。
「これは・・・」
それは所々薄汚れほつれ、破れたくたびれたロングコート、そして使い込んだ形跡が見受けられる一丁の銃。
そして見覚えのある一房の赤毛。
「これって・・・」
「まさか・・・」
「はい、父上の遺品と遺髪です。本来でしたら父上の遺体も含めて全て協会が接収する筈でしたが、母上が無理を通してくださって、これだけはと・・・」
そっと差し出されたそれを震える手で触れる。
「シ・・・ロ・・・ウ・・・」
何人かは既に涙をこぼしている。
「それと・・・父上から姉様達へ伝言です。一言『皆、ごめん』と・・・」
それが限界だった。
『・・・ああ・・・あああああ・・・う、うわああああああああ!!』
全員が泣いた、声が枯れんばかりに泣き叫んで。
カレン、セラ、リーゼリットは声を上げたりはしなかったが、その両の瞳からは大粒の涙が止めどなく流れ落ちる。
全員の号泣の声を聴きながらローランは俯き、眼を閉じ歯を食いしばっていた。
自分には泣く資格は無いと言わんばかりに・・・
しばし泣きじゃくっていた一同だったがやがて、少しは落ち着いたのか凛が充血した眼をローランに向けた。
もう一つだけどうしても聞かなければならない事があるから。
「ローラン、士郎の・・・遺体は・・・」
「・・・既にロンドンに移送され、その後は・・・父上の遺体は余す所無く、全て標本となる事が決定しております」
その言葉を最後にローランは居た堪れなくなったのか、逃げる様に衛宮邸を後にした。
蛇足だが、彼が衛宮邸、ひいては冬木の地を訪れたのはこれが最後となり、その後の彼は生涯冬木の地を訪れる事を拒否し続けたと言う。
そして・・・ローランが後にした衛宮邸はこの世の絶望と悲嘆をかき集めたのような沈痛な空気が支配していた。
未だに泣き続ける者、泣き止んだが、何かに耐える様に唇を噛み締める者、突然の訃報を受け止める事が出来ず、呆然とするもの様々だった。
だが、その時、
「・・・会いたいですか?」
聞いた事の無い声が居間に響いた。
その声は『七夜の里』、志貴達の屋敷でも響いた。
「・・・会いたいですか?」
『えっ?』
声の方向を向くと陽炎じみた揺らぐ人影がそこに立っていた。
「どう言う事よ?」
「どう言う事ですか?」
アルクェイド、アルトリアが同じ質問を口にする。
その問い掛けに人影は同じ質問を、今度は固有名詞を加えて口にした
「会いたいですか・・・貴女方が愛する死神に?」
「会いたいですか・・・貴女方が愛する剣の王に?」
その言葉に全員が異口同音で同じ回答を口にした。
『会いたいわよ!!志貴(ちゃん、君、兄さん、マスター)に!!』
『会いたいわよ!!士郎(シロウ、シェロ、先輩、ご主人様)に!!』
その答えに人影は頷く。
「ならば・・・貴女方は・・・覚悟を決めなければならない・・・」
眼を覚ました時、士郎は自分がどうしてこんな所にいるのか理解できなかった。
自分は息子に看取られ雑木林で息を引き取ったのではなかったのか?
しかし、目を覚ましたのは穏やかな風が吹き抜け、暖かな春の日差し溢れる草原。
ふと腹部に手を当てる。
そこには傷など何処にもない。
「こいつは・・・あの世って奴なのか?・・・」
士郎の呟きに応ずる声があった。
「いいえ、新たなる剣の神霊。ここはいわゆる神界。神と神々に選ばれた神霊が住まう世界」
声の方向に振り向くとそこには一人の女性がいた。
巫女のような服装をし、そのあまりの神々しさに邪な欲望すらも浄化されるような錯覚を覚えるほどの。
「貴女は?」
「申し遅れました。私は『道の神霊』。生前は数多くの道に迷える者を導き、その功を認められ『代理人』、そして神霊となった者です」
「では先達と言う事ですか?」
「はい、新たなる剣の神霊よ、改めて生前は数多くの苦難お疲れでございました。そしてようこそ。神界は貴方を心より歓迎いたします。さあこちらへまずは貴方を神霊に任じた神とお会いして頂きます」
そのまま道の神霊と名乗る女性が差しのべた手を取り立ち上がる。
そして歩を進めた。
「しかし・・・神界と言うから神々しい世界と思っていたんだが・・・」
しばらく歩いてから士郎はやや苦笑しながら周囲を見渡す。
そこはどう見ても普通の都市と大差ない。
色々な建物が並び、時折行きかう人々は他愛のない雑談を興じ、とてもではないがこれが神界とは思えない。
強いて違和感を覚えるとすれば圧倒的な人の少なさ位か。
それを除けば小規模な都市にしか見えない。
神の世界を信じる様々な宗教の熱心な信者が見れば現実逃避か卒倒するのではないかと思いたくなる。
「ふふっ、新たな神霊となられる方は皆驚いております。神々の御座はともかくとして神霊の方の住まう場所は人の世界とそう変わりはありません。神霊の方々の多くは生前、数多くの苦難を強いられてきた方ばかり。その方々にせめて、死後においては心安らかに時を過ごして頂く。その為に用意されたのがこの場所なのですから」
「な、なるほど・・・それにしても・・・数が少ない様に思えますが」
「それも当然です。代理人に選ばれる方の数は極めて少なく、代理人が選出されなかった世界の方が多く、一つの並行世界で一人出れば上々と言われています。複数の代理人が選ばれた貴方のいた世界の方がむしろ異常なのです。今この神界に住んでいる神霊の方はようやく百人に届いた所でしょうか」
「それだけなのですか・・・」
「ええ、ああ、着きました。では剣の神霊よここより先はお一人で」
そう言ってその指が指し示す先には先程までの俗世じみた街並みとは一線を画する巨大な、重厚な門があった。
門の細部にまで人の手では成し遂げられない程繊細な彫刻を施され、触れる事すらも躊躇われる。
「ここより先は神の御座、そこで貴方を神霊に導きし、剣神にお会いになられて下さい」
そう言うと道の神霊は優雅に一礼しその場を後にした。
「・・・さて、ここでじっとしている訳にもいかないか・・・」
そう言って門を開けようと触れる。
触れたその瞬間、士郎の周囲は一変していた。
荘厳な神々しい空気に覆われた神殿の内部に。
「ここは・・・」
士郎の呟きは消える前にその答えを得ていた。
「待っていたよ。新たなる同胞よ」
そこには三名の男達が立っていた。
全員の顔に見覚えがある。
かつて報奨の剣を手にする直前見せられた歴代の『剣の代理人』達・・・
そして男達の後方には・・・目に見えるほどはっきりと分かる力の塊がそこにあった。
「・・・よくぞ来た・・・我が新たなる同胞にして我が認めしものよ」
その力の声は聞いた事がないが目の前のそれが何者なのかは分かった。
この力こそが剣神なのだと。
だからこそ士郎は自然に畏まった。
「固くならずとも良い。我がこのような事を言うのもどうかと思うが、長きに渡る苦難をよくぞ耐え抜き、此処に辿り着いた。道の神霊からも言葉があったであろうが神界はそして我々はお主を心よりの喜びをもって迎えよう」
「・・・いいえ、俺は生前のあれを苦難とは思いませんでした。ただ助けたいから助けた。それだけの事です。最期はああいった死を迎えましたが悔いはありませんでした。もっと助けたいと言う未練はありましたが、あれが俺の寿命だったのだと思っています・・・だから生前において俺は自分に出来る全てをやりました・・・それは俺の譲れない・・・決して譲る事の出来ない誇りです」
「・・・やはり我が同胞となる者は同じ気質を持つようだな」
そんな士郎の返答に共感じみた暖かい笑みを含めた声と好意的な笑いが返ってきた。
「顔を上げよ。新たなる同胞、衛宮士郎」
「はい・・・!!これは」
いつの間にか士郎の目の前には剣の『象徴(シンボル)』である『剣神より下賜されし報奨の剣(バウンティ・ソード)』が鎮座されている。
「お主の剣だ。受け取れ」
「・・・はい」
静かに剣を受け取るや剣は静かに士郎の体内に潜り込んでいった。
「基本としてはこの神界にて過ごせ。お主達が動かねばならぬ時にはお主達の内誰かを呼ぶ」
「はい」
「改めてだが、もう一度言おう。ご苦労だった、衛宮士郎。これよりはこの神界にて心安らかに過ごせ」
その言葉を最後に士郎はいつの間にかあの門の前に戻されていた。
「お疲れでございました」
何時からそこにいたのか先程立ち去った道の神霊がその手に持つ飲み物を士郎に差し出した。
受けとってみるとそれは水でも緑茶でも紅茶でもコーヒーでもなく炭酸飲料だった。
これには士郎も思わず絶句する。
そんな士郎をくすくす笑いながら自分の分のそれを飲む。
「ここには人界と同じものがあると思って頂ければ、宜しいかとも思われます」
「な、なるほど・・・」
恐縮しながらそれを一息に飲み干した。
「ではこちらへ、剣神が貴方に用意された住居がございます。そこへご案内いたします」
再び道の神霊の案内の元歩く事しばし、
「到着いたしました。ここが今日よりの貴方様の住居です」
「・・・」
この地に・・・神界に降り立って何度目であろうか。
士郎は思わず絶句する。
自分の目の前に建つ士郎の住居それは
「・・・家だ」
「はい、生前において貴方様が最も心安らかに過ごせられた場所、それが貴方様の住居ですので」
懐かしき武家屋敷、紛れもなく衛宮邸だった。
だが、士郎が絶句した理由はそれだけではない。
いや、絶句したのはもう一つの理由が主だった。
「それについては感謝の言葉もありません・・・ですが・・・」
「どうかされましたか?」
「いえ、なんで隣に『七星館』まであるのかと思いまして」
そう、衛宮邸の隣に建つのは紛れもなく『七星館』だった。
「あら?もしかして間違いでございましたか?新たなる死神と貴方様は盟友と聞き及んでおりますが・・・」
「いえ、俺と志貴は友である事に間違いはありませんが・・・ここに『七星館』があると言う事は・・・」
その質問に答えたのは彼女ではなく
「そう言う事みたいだな士郎」
『七星館』から出て来た声が応じた。
「志貴・・・」
「・・・暫くぶりだな士郎」
長すぎる付き合いゆえだろう。
さほど言葉を交わす事無く自然に歩み寄り当然の様に握手を交わした。
この二人の再会の挨拶はそれで十分だった。
「それでは私はこれで失礼したします。衛宮様、七夜様どうぞここで心穏やかな日々を」
「ええ、ありがとうございます」
「お世話になりました」
道の神霊のお辞儀に二人がお辞儀を返して、顔を上げた時には既に彼女の姿は掻き消えていた。
「・・・ここは本当に普通に持つイメージの神界とは大きくかけ離れているよな」
衛宮邸の居間で苦笑しながら志貴が言う。
「全く同感だ。しかも見てみろよ。冷蔵庫の中食材が満載だ」
「ああ、それは『七星館』も同じだった。神霊と言っても腹は減り眠くなる。生きているのとさほど変わらないよな」
「同感、本気で俺達一度死んだのかどうか疑問に思うよ」
互いに苦笑する。
既に日は落ち神界は夜。
志貴と士郎は再会を祝して二人だけの宴を開こうとしていた。
戦闘を彷彿とさせる息の合いよう、互いに相手が何をしているかちら見しただけで次に何が必要なのか理解して食材や包丁やボールを放ってよこす。
目配せすらなく自然にやってのけている。
やがて完成した鍋を食卓ではなく、中庭に面した縁側にあらかじめ用意していたコンロにかけてから士郎は小皿と箸を、志貴は何処からか取り出したのか日本酒の一升瓶を置いて、つまみ代わりの荒塩を小皿に山盛りにしてグラスを用意した。
「冷いけるか?」
「問題なし」
問い掛けに士郎がそう言うと、志貴は一つ頷き、グラスに酒を注ぐ。
「良い月だな」
「ああ、良い月だ。思い出すな『蒼黒戦争』で飲んだ酒を」
「あの時か・・・美味かったなあの時の酒」
「ああ、だけど、今日の酒もあの時に負けず劣らず美味い酒になるだろうな」
「そうだな」
互いに笑顔でグラスを掲げる。
「何に乾杯と行くか?」
「再会には・・・ありきたりだし・・・神霊になった・・・は俺達はそれを目指した訳でもないしな」
「うーん・・・そうだ、いっそ、独身生活に乾杯と行くか」
無論冗談であるのだが、思わず苦笑する。
そして悪乗りした。
「それは良い。じゃあ、此処での独身生活に」
「ああ、独身生活に」
「「乾杯」」
軽くグラスを当てて一息で酒を飲み干す。
「くーっ、美味い」
「・・・ああ、あの時に負けず劣らず美味い酒だ」
にこやかに穏やかに塩を舐め、鍋に舌鼓を打ちながら互いの事を話し合った。
「そうか・・・予測していたが苦労したなお前も」
「ただ、ローランの奴に看取られた。歴代の代理人に比べたらはるかに恵まれているよ」
「・・・そうか」
「後の事はローランに、それにお前の所のカールに任せれば良い。もう死者が出しゃばる必要なんかないんだから」
「ああ、ただ・・・」
「?ただ」
「・・・アルクェイド達の事を思うとな」
その言葉と同時にいささか沈痛な空気が場を支配する。
「・・・そうだな。俺もこれから先のアルトリア達の事を考えると胸が・・・心が痛む」
「無いものねだりなんだろうとは思うけど・・・可能ならば皆を死ぬまで幸福にしたかった他でもない俺の手で」
「・・・とっとと・・・無責任に死んだ俺達がこんな事を思う資格はもしかしたらないのかも知れないけど・・・できれば幸せにしてやりたかったな・・・」
悔いもなく真っ直ぐに生き続けたつもりだった二人の、それはただ一つの悔いなのかもしれない。
自分が愛した女、自分の事を愛してくれた女を最後まで幸福にする事が出来なかった事は。
それから二人は無言で酒を飲み、鍋をつつく。
やがて鍋の具材を食べ尽くし、締めの雑炊を平らげると志貴は瓶に残された酒を等分して注ぐ。
「じゃ、これでお開きで」
「ああ」
グラスを手に再度当てようとしたその時、
衛宮邸から、そして隣の『七星館』から、何かが墜落したかのようなものすごい轟音が響き渡った。
ここで時は遡る。
「私達に・・・覚悟・・・」
琥珀が呟く。
「それは一体どう言う事なのですか?」
ルヴィアが問い掛ける。
「死神は死にましたが、その魂は既に神霊として神界に召し抱えられました・・・」
「剣の王は生前の契約に基づき、剣の神霊となり神の一席を与えられました・・・」
『すなわち、今の人に、人の英霊に過ぎない貴女方が神霊となった彼には永久に会う事は叶いません』
「そんな!」
絶望のあまり、翡翠が崩れ落ちる。
「先輩に・・・もう会えない・・・永遠に・・・」
枯れたと思っていた涙がまた桜の両の瞳から零れる。
『しかし、会えない手だてが無いと言う訳ではありません』
「そ、それはどうすれば!どうすれば志貴に会えるのですか!!」
シオンが縋る様に話の続きを促す。
「早く言いなさいよ!!シロウに会えるのならなんだってやってやるわ!!」
イリヤが急かす。
『・・・貴女方が神霊となった彼の従者となる事です』
「・・・従者?」
さつきが思わず首を傾げる。
「それはどう言う事ですか?」
メドゥーサが話の続きを促す。
『従者となる事で貴女方の魂は神霊の付属として扱われ神界に召し抱えられる事が可能となります』
「でしたら直ぐにでも兄さんの元へ!!」
秋葉が結論を急がせようとする。
「ではすぐにでも参りますか。彼には文句が山ほどありますし」
カレンが珍しく積極的に行動を起こそうとしていた。
『ですがこれには一つ注意点があります』
「注意点?それはなんなの?」
アルトルージュが首を傾げる。
『あくまでも従者の魂は付属物に過ぎず、神界の空気に耐える事は出来ません。神霊の寿命は半永久ですが、従者の場合、神霊と同様老いる事はありませんが、神界の時間で二百年、それで従者の魂は摩耗し消滅、神霊の一部となってしまいます』
「またこれは英霊であっても同じ事、人の魂よりは持ちましょうが、それでも神界の時間で四百年が限度でしょう」
「真祖、死徒の魂は人よりは長く持つでしょうが神霊のそれには遠く及ばず、どれほど長く見ても四百年が精々でしょう」
『!!』
その言葉に全員が口を閉ざす。
『・・・それを防ぐには貴女方も代理人、すなわち神霊となる必要があります。神霊となれば寿命は半永久となり永久に過ごす事が可能でしょう。ですが、その限られた時間で神霊となれる可能性は正直乏しいのです』
『・・・』
しばしの沈黙が流れる。
だが、それを打ち破ったのはアルクェイドの
「それでさ、その神霊ってどれだけ種類があるの?」
凛の
「だけどさ、それって可能性が全くないってわけじゃないのよね」
前を向き力強い言葉だった。
「種類は文字通り無尽蔵、神々はあらゆるものに宿ると言うのが基本の考えですので未だ神霊となった者がいない神も珍しくはありません」
「過去、幾人もの従者が挑戦し神霊となった者は少なからず存在します。ですがその数は極めて少なく狭き門である事に変わりはありません」
「じゃあ私にも神霊になれるチャンスはあるのね。低いけど」
朱鷺江の眼に希望が宿る。
「皆無じゃないって事が判っただけでも十分ですわ」
ルヴィアの声にも力が戻る。
『・・・いろいろ身辺の整理もあるでしょう。もし神界に行かれるのでしたら十日後が丁度満月、その時に希望者を神界に彼らの従者として招聘いたしましょう。場所はここです。ですが、再度申し上げます。一度選べばもはや二度と戻れぬ道である事を努々お忘れなきように』
その言葉と同時に人影は消え去った。
それから十日後、夜。
衛宮邸では全員揃っていた。
その間、凛達は精力的に動き回り、土地や屋敷を売却、財産も処分し、自分達に関する戸籍や記憶などを魔術で消去するなどして表向きは自分達の存在を完全に消し去った。
それから士郎と少なからず関わりのある(無論魔術関連で)人々に事情を話し、神界へ行くかどうかの確認を取りまくった。
その結果、バゼット、セタンタ、メディア、ヘラクレスはここに残るとの事だった。
バゼットは未だ再建途上の協会を放っておけないと言う事と自分が神界に言ってもおそらく消滅して終わるだろうと、セタンタはバゼットを置いていく気は毛頭なく、メディアも宗一郎のいない場所に行く気は更々なく、ヘラクレスはバゼットと同じく理由と、もはや自分の出る幕は無い、後は士郎がイリヤを守るだろうと言って、それぞれ残るとの事だった。
そして・・・バルトメロイもまた残る事を選んだ。
表向きはバゼットと同じく協会院長が協会再建の任を放棄するなど出来ないとの事だったが、最後にぽつりとつぶやいた、『・・・私には今更エミヤに会わせる顔などない・・・』その言葉こそが本当の理由なのだろう。
また、ローランも既に多くのものを背負い過ぎたが故にそれを放棄する事は出来ず残る事を選び、最後に『・・・父上によろしく伝えて下さい』そう頼むのが背一杯だった。
「・・・刻限です」
いつの間にかあの人影が姿を現す。
「最後にもう一度だけ確認します。本当によろしいのですね?悔いても戻る事は叶わない道ですよ」
それに全員覚悟など決めたとばかりに頷く。
「わかりました・・・それではみなさんをご案内しましょう神界へ。それと・・・神界に着いても驚かないように」
一方、『七夜の里』、志貴の屋敷でも約束の刻限は迫っていた。
当然と言えば当然だが『九夫人』全員そこに揃っていた。
この十日間アルクェイド達は時間を無駄にする事無く、志貴の葬儀を済ませると身辺整理を行い、事情を黄理達にも話す。
それを黄理はそうかと、真姫は無言で一つ頷き義娘達の選択を尊重した。
娘達は最初は一緒に行くと言って若干駄々をこねたがそれぞれ真摯な説得の結果、残る事を承諾、親子の別れを惜しんだ。
カールはローランと同じく『裏七夜』頭目、ナルバレック頭首、そして埋葬機関長の任にある以上それをおいそれと放棄も出来ず『母さん達父さんによろしく言っておいて』と一言告げて義母と別れを済ませた。
ゼルレッチ、コーバック、青子にも事情は話したが、神界に言っても神霊になれる可能性は低いし、なろうとも思わないと異口同音にここに残ると告げて志貴によろしく伝えておいてくれとだけ言付けを頼んだ。
「・・・刻限です」
その声が聞こえるとあの人影が姿を現す。
「最後にもう一度だけ確認します。本当によろしいのですね?悔いても戻る事は叶わない道ですよ」
その言葉に全員強き覚悟を伴った視線で返事を返す。
「わかりました・・・それではみなさんをご案内しましょう神界へ。それと・・・神界に着いても驚かないように」
突然の轟音にほろ酔い気分も一瞬で吹き飛んだ。
「な、なんだ!!」
「家の前と『七星館』の方だよな」
「ああ、だが一体・・・」
その時、
『な、何よここはーーーーーーー!!!』
もはや聞けるはずがないと思っていた声が二人の耳に飛び込む。
「え?」
「へ?」
思わず顔を見合わせる。
『ちょっと!見てよ!なんで『七星館』の隣に士郎の家があるって言うのよ!』
『滅茶苦茶にも程がありませんか!!』
『あ、あれ?あ、アルクェイドさん?ど、どうしてここに?』
『どうしてもこうしても志貴と会う為に決まっているでしょう!そっちこそどうしたのよ』
『私達だってシロウに会いに来たに決まって』
『!!、この匂い、これは・・・間違いありません!!紛れもなくシロウの作った鍋の匂い!!士郎はいますここに!!』
見合わせた顔が互いに崩れる。
「は、はははは・・・」
「はっ・・・あははは・・・」
自然と笑みが零れる。
「志貴、鍋、追加が必要なようだ。手伝ってくれるか?」
「了解」
何故ここにいるのか?
どうやってここに来たのか?
そんな事は後でゆっくりと聞けば良い。
今は喜ぼう、再び会えた事を、また声が聴ける事を、また抱き締められる事を、まだ幸福にする事が出来ると言う事を。
と、志貴は先程のグラスを掲げる。
「士郎、再度乾杯だ」
「何に?」
「・・・再びの賑やかな日々に」
「ああ、また得られた賑やかな日々に」
「「乾杯!!」」
グラスの澄んだ音が今度は心地良く二人の耳に響いた。
永き歴史の物語はこれで終焉を迎え、歴史は決して揺らぐ事の無き事実として残る。
一つの結末の違いから産み落とされた異形の歴史は歴史の紡ぎ手がいなくなろうともこれから先も歴史を動かし綴っていくのであろうから・・・
七歴史・・・終焉